二つの月 朧の恋03

 学校休みの若葉と遊ぶ日の当日、桜は約束の5分前に着くよう時間を調整して屋敷を出た。今日はいつもより装いに気をつけている。淡い桜色のニットに、濃い色のスキニー。体温調節も兼ねてカーディガンを羽織り、白のスニーカーを履いている。普段はスラックスと白シャツに適当な上着で済ませてしまうが、おしゃれをせざるを得ないのには訳があった。

「桜さん、お早うございます!」

 待ち合わせ場所へ先に着いていた彼が半端な服では釣り合わない華やかな格好をしているからだ。

 若葉は萌黄色の女物の着物を着ていた。布地には枝のついた桜の花が咲き誇っている。簪も桜をモチーフにした飾りが垂れており、若葉の動きに合わせてさらさら揺れていた。髪は緩やかにまとめていて、全体をより一層華やかにしていた。

 満面の笑みで手を振る若葉に、桜は微笑んで手を振り返す。若葉は中学3年生になったが、こういうところばかりは少し幼い。

「お早う、若葉くん」
「さあ、桜さん、行きましょうか。カラオケ!」

 若葉に手を引かれて桜はついていく。
 予約をしていたカラオケ店では、緊張した様子を隠しきれない店員に先導されて部屋に入った。桜も若葉もカラオケにはあまり来たことがないため、始めに軽く店員から機器の操作説明を受ける。
 店員が出て二人きりになってすぐに若葉は曲を入れ、歌い始めた。誰かのイヤホンから漏れ聞くくらいに有名な歌を、調子外れながらも堂々と歌い上げる。その様子をしばらく眺めてから桜は自分の歌う歌を設定した。

 その後、予約していたラーメン屋で中学生男子の食欲に瞠目したりしつつ腹を満たし、桜は若葉と目的地もなく町を歩き始めた。映画の時間にはまだ早い。

「桜さんとお出かけするの楽しいですね。伸び伸びできて」
「私も若葉くんと遊ぶのは楽しいよ」
「光栄です。ボクは自由に振る舞えて、桜さんは楽しい。一石二鳥ですね」
「……まあ、当主は大変だよね」
「そうなんですよ。頭の凝り固まった老人たちなんてくそったれって感じです」

 あっさりと悪口を言う若葉の言葉を桜は聞かなかったことにする。桃屋家の時期当主に家のことで愚痴を言うなどなかなかの度胸だ。

 緑家は女系の家系で、稀にしか生まれない男討伐師は何故か緑家に不利益をもたらす。家系が途絶えかけたこともあったくらいだ。そのため、緑家はどうしても男を当主にせざるを得ない今の状態になった場合は、女装をさせて未婚のまま押し通す。悪影響を最小限に抑えるために。
 これは酷いと桜は思うが、他家のことなので口を出すことはできない。若葉から正式に訴えられれば別だが、緑家が取り潰される危機が生まれてくる。それは避けなければならない。

「まだ映画の時間は大丈夫だっけ?」
「まだ大丈夫ですよ。もうちょっとブラブラしても、あー……」
「どうしたの?」

 若葉は空を見上げて言葉を失っていた。若葉の見ている方向を、桜も見る。そこには昼だと言うのに月が二つ浮かんでいた。

「まさか……っ!」

 桜の背筋が冷える。体には自然と力が入った。空に浮かぶ月は両方ともまん丸に太っている。

「若葉さん、桃屋家に連絡」
「はい!」

 月が丸いと言うことは影人が出ていると言うことである。早急に対処せねばならない。今日はいつもと違い予兆がなく、昼に出現しているため、人払いも町人の警戒心も無いのだ。

 いつもより精度を上げて桜は町を見る。影人の出没ポイントは3点。1つは近くにあり、1つは町の外れだ。続けてどの討伐師がどこに居るかを調べる。
 荒削りの対処方法を素早く組み立て、桜は仕事用のガラケーを開いた。指が覚えた番号を素早く押す。

『何があった、桜!』
「るニに影人。要が行って」
『了解』

 遠くでも近くでもないポイントの影人討伐へ行くよう要へ指示を出す。今回は緊急事態だ。なるべく実力のある者を早く向かわせたい。

 近くは自分たちで対応するとして、問題は1番遠くの影人だ。あの場所は町の外れのため開発が進んでおらず、行くのにかなり手間がかかる。その上、どの家とも遠かった。
 1番近いのは黄木寺家である。

「清一郎さん、あアに影人。行って」
『……! わかりました』

 あの場所へ着くのは藍川家が早い。

 急場の指示を済ませた桜は若葉へ視線を向ける。若葉はその視線を受け、畳んだガラケーを見ながら笑顔でピースサインを向けた。

「こっちは終わりました。行きましょう、桜様」
「ええ、ショートカットするよ」
「えっ」

 桜は若葉の返答を待たず、若葉を抱き抱えて影人のいる場所へ向かって直進した。建物に邪魔されればよじ登って先へ進み、ひたすら直進する。
 先祖返りしたと言えるほどの才能を持った桜だからこそできる技だ。

 元々、桃屋家もその他の家も、蘇芳家から派生した家柄だ。蘇芳家が持つ討伐師としての副次的な能力のどれか一つが特化した子供が生まれるたびに独立して今の形となっている。

 緑家は遠隔攻撃。影人を倒すための討伐師の力を広範囲にふるえる。
 黄木寺家は未来視。見たい時に数秒先の未来を確定で見ることができる。
 藍川家は身体能力強化。特に速さに秀でており、桜が1番遠くの影人へ清一郎を向かわせたのは一重にこれが理由だ。

 そして、桃屋家は遠視である。町全体を一望することができ、影人や討伐師の位置を正確に把握することができる。桜はそれに加え、一般人のおおよその位置や、討伐師が誰なのかまでわかるのだった。

 そんな桜は、今、蘇芳家の力を使って建物を乗り越えていた。短時間しか連続使用できない上、疲労は大きくなるが、先祖返りした桜は蘇芳色の力を全て使える。

「ささささ桜さん、じょうげ、うっ……」
「舌噛むよ?」

 激しい揺れにまいりかけた若葉は諦めた顔で桜にしがみついた。桜はそれを受けて改めて抱え直す。

「さてと」

 低いビルの屋上で足を止めた桜は下を見る。そこには人々へ襲いかかっている影人がいた。

「まずいことになってるな……」

 影人はいつもの影人とは違った。人の形になっていて、意思を持った動きで人を襲っている。人型の影人は100年に1度数体出れば多い方で、とても凶暴だ。前回出現したのが20年ほど前だそうなので、本来ならば桜は生きているうちに人型の影人に会うことはないはずだった。

「行くよ、若葉さん」
「……はい、どんとこいです、桜様………」

 理由を探すのは一旦やめ、桜は若葉を抱えたままビルを飛び降りた。難なく着地し、若葉を背に庇って影人に向き合う。
 すでに死人が出ている。被害をこれ以上出さないためには素早く対応しなければならない。

「こっちを向け!」

 耳があるのかは知らないが、桜は気を引くために叫ぶ。構えを取り、影人の出方を伺った。

 影人はゆっくりと振り返った。そうした次の瞬間、桜へ駆け寄ってくる。通常の影人では考えられない速さだった。
 桜のやるべきことは一つ。他の討伐師が来るまで耐えることだ。桜と若葉だけではこの影人に勝つ望みは薄い。

 影人が桜の近くへ来るまでに、若葉の攻撃が影人を切り刻んだ。中には核へ届いた攻撃もある。しかし、影人に効いた雰囲気はない。桜は油断なく影人の攻撃を受け流した。
 どの家も人型の影人対策として対人戦の訓練をしている。対人関係の技術は使われないのが常であったが、今、存分に効果を発している。使われないのだから無駄なのではと考えたことのある桜だが、静かに考えを改めた。

 若葉の援護を考慮に入れながら、桜は必死で耐える。その間に核への攻撃も試みたが、全て失敗に終わった。

「桜様、動きを止めてください!」
「わかった」

 若葉の提案を受けて瞬時にリスクを計り、桜は影人の腕を掴んで動きを止めた。動きを止められた影人は叫ぶように震えて、桜の頭へ頭突きをする。その衝撃に手を離しかけた桜だったが、目に映る光景ににんまりと笑った。

 若葉による核の真下からの一撃により、影人の核が粉々に砕かれる。影人は崩れ、べちょりと地面に落ちて広がった。

「倒した?」
「思ったよりも呆気なかったですね?」

 それでも桜は慎重に距離を取る。人型の影人は聞いていたよりもずっと弱い。
 その警戒はあったっていた。粉々になっていた核が再生され、体が復活していく。終わりの見えなさに背筋を凍らせながら、桜は再び影人挑んだ。

 結局、影人は駆けつけてくれた桃屋家の者の援護によりなんとか倒すことができた。他の地域も各家の討伐師を総動員させて鎮圧させたと言う。
 桜が必要な事後処理を終え、周りから人がはけたころに、若葉は桜へ近寄ってきた。

「とんだデートでしたね、桜さん」
「デートって」
「えー、ボクはデートのつもりでしたよ。ほら、だから服にも気を遣ってますし。柄をちゃあんと桜さんの名前に合わせたんですから」

 ウィンクして笑う若葉につられて桜も笑った。緊張が少しだけ解れていく。

「若葉くんはイケメンね」
「惚れちゃいました?」
「惚れないよ」
「まあ、残念」

 二人の間に流れる空気が軽いものになりながらも、次の約束へは繋がらなかった。
 短期間の人型の影人の発生は異常事態だ。しばらくはそんな暇はないだろう。
 桜は拳を握り締めた。